私は求められません。(挨拶)
おはようございます。葛葉ラプソディです。
オナ禁6日目…。寝起きは非常に良く、顔の脂も減ってきました。乾燥する時期ですが丁度良い加減を保っていると思います。ちなみにスキンケアはドン・キホーテで買ったハトムギ化粧水のみです。湯水のようにバシャバシャ使いましょう。
髪の毛集めてポイに溜まる抜け毛の量には毎度戦慄せざるを得ませんが、自分の身から落ちたものを自分で拾い上げゴミ箱に捨てる哀愁といったらないです。人に拾わせたいか?と聞かれるとNOですけども。
与えよさらば与えられん
何かを得たい、何かを成し遂げたいなら先に自分から与えましょう…(慈愛に満ちた目で)
そういうことですよね。
対価を求めず、ひたすらギブに徹する。そういう善意や愛は巡り巡って自分のところに返ってきますよ…(慈愛に満ちた目で)
そういうことですよね。
そのうえで自分にできるギブって何だろう?と考えてみたのですが、
- 寄付
- 仕事を教える
- 知識を教える
- 従業員に尽くす
- お客様に尽くす
- 家族・友人に尽くす
- 地域に尽くす
まぁ、こんなところでしょう。
ほとんど仕事がらみなのはサラリーマンの悲しい性としか言いようがありません。
対価を求めず…というのが難しい。例えば従業員に仕事を教えるような場合、直接的なお礼は問題になりません。そんなこと言ってる暇があったら早く覚えろ、私にお礼を言うくらいなら手動かせと思っています。
その「手を動かせ、早く覚えろ」というのは、対価を求めていることになるのでは…?
その対価が得られないからこそ、目の前の従業員(他人)を勝手に、覚えが良いとか悪いとか、要領が良いとか悪いとか、表面的な評価をするのでは…?
じゃあここを何とかするにはどうしたら良いのでしょうか。覚えるまで教え続ける、教育を徹底するしかないわけですね。
覚えの良い悪いというのは、単に私から見たその人の一部にすぎません。
どんなアホでも月曜日の次は火曜日であることを忘れないように、心身に刻み付けるまで教え続けるしかありません。
覚えるスピードは人それぞれ…ということを常に心がけて、その上でできるまで教え続ける。ガキじゃあるまいし…というのは私の勝手であって、その人個人の評価(従業員としてではなく)・魅力には関係ない。
頭ではわかっていても、感情の理解が追いつきません。何度教えてもできない人を見るとイライラしますし、同じ話を何度もするのは疲れます。
それでもやるかしかに。だって、他の人はそれができない、やっていないからです。
人と違うことをしましょう…私はいつも従業員に言っています。まずは私が人と違うことをするんだと、そういう気持ちになりました。できるとは言ってない。
そうすればいつか、「従業員が勝手にやってくれるから私は楽チンチン」という対価が巡り巡ってやってくるのでしょう。
あ、これも求めていることになるのか。じゃあ今のなし。
ではまた。